すずめの戸締り ネタバレ感想

(パンフレットも人様の感想も読む前に書いてるのでめちゃくちゃ書いてるかもしれません)

まずすげー面白かった。00年代の超短いノベルゲーの味。竜†恋とか沙耶とかあの辺の「書きたいものはこれで、必要なシーンはこれとこれで、やりたいことだけ描写して終わり」というミニマルな簡潔さ。素晴らしかった。

書きたいことというのは、死をモチーフにした災害に対する人の無力さ、呆気なさに立ち向かう強さを描写すること。大衆受けに配慮した魔法少女ロードムービーの影にはこれでもかというほど濃厚な「死」を描いていて、その過程として震災を10年経っても忘れねえぞという啓蒙がある。(これは俺が穿ちすぎのような気もするが、ただただ残酷で美しい死=自然災害の強大さを描きたいというそれだけのような気もする)しかし死に関しては、それを美化するでも誇張するでもなく、ただただそこにあったものだけを徹底的に描写し、極めつけとして映画冒頭にあった常世での記憶は母親ではなく、自分だったというミスリードを回収し、「死者が助けてくれた」というような死へのファンタジーを徹底的に廃しているというのがあまりにも見事だったし、自分の哲学と合致した。死んだ奴はもう居ないんだから、生きている奴らで頑張るしかない。でも死んだらみんな一緒になるんだよ。という優しさも内包していると感じた。だからこそ大衆の醜さや愚かさというところは最低限にし、沢山の人に助けられながら日本中を旅するという内容になっていたのだろう。
監督の性癖であろう大学生とアラフォーの年の差カップルだとか、幼さを盾にした主人公のふるまい、性的なスキンシップとかちょっと理解し難いシーンもあったが、主軸の部分が完璧に合致していたので些細な事だった。

根っこの部分に古神道アニミズムがあり、龍脈として日本を支えている中で常世の「死」はいついかなる時もミミズ(龍)として生の世界に溢れだしそうになっている。ただ、それを抑えるのは人の重き思いというのは何を思った設定なのかわからなかった。凄く単純に考えると、人が多いところには必然として多くの死があり、その死を常世から抑えるためには多くの人が必要であるという事だと思う。しかしこれはまるで死を人がどうにか出来るという前述したテーマとは真逆の思想であり、うまく考えがまとまらなかった。どこまで絶望的に描写するかの折衷案ということだろうか。

一番魅力的なキャラクターはダイジンだった。恐らく草太のおじいさんによって刺され、2~30年日本を守っていたが、おじいさんの死と共に封印が解かれようとしていたため、すずめを見定めて刺し直してもらう必要があった。ダイジンは大臣、古来役職の大臣(おおかみ)=大神だと思う。でもあの顔みても「大臣みたいな猫~」とはならんやろ。
「すずめの子にはなれない」というセリフがまだよくわかってなくて、神が人の子になろうとする、好かれようとするという描写はなんのためにあったのだろうか。草太が望まぬ形で要石になったように、ダイジンもまたそうだっただけ?人に背負わされた重しを人に見せつけることで威厳を示した?人の好きという感情がエネルギーのようなので、昨今の無宗教っぷりはダイジンにとって困ることだった?なんとでも考えられるが、ピタリとハマるものがないのでわからず。
サダイジンは人の押し込めている感情を曝け出す力があるようだが、叔母さんとスズメのモヤモヤを晴らすためだけのシーンではなくてもっと意味がありそう。このあたりがもう少しスッキリしたら手放しで好きになれそう。

なんか監督の言いたいことは半分くらいしか理解できてなさそうだけど、映像が美しくてこういうアニミズムなファンタジーが好きなのでとても良い体験だった。
エンタメとはかけ離れているように感じるしこの内容が大衆受けするとは思えないのだが、実績と信頼があってこそだというのは大前提として、口出さずに乗っかったスポンサーが本当に偉いと思う。是非このまま日本を牽引するアニメ映画監督として第一線を張り続けてほしい。

 

追記
とりあえずフォロー内検索とかバズツイだけは一通り読んできました。

僕は宮城出身なんで昔からのフォロワーでバチ切れしてる人とかも居ましたが、まあこれはしょうがないのかなと思います。俺は自分の経験と作品の良し悪しは切り離して考えたほうが良いと思っているので「お~女川だ」くらいにしか思いませんでした。

(書き忘れてた)すずめなのか草太なのかダイジンなのかわからないけど、ミミズが出現する前は商売繁盛するという描写。あれなんも知らん人にとってはポジティブだけどすずめ達にとってはミスったら被害が大きくなるのたまったもんじゃないよな~
なんかそういう残虐さもあるからただ単に「震災を忘れない。残された人は頑張ろう」みたいな良い子ちゃん映画とは思えないというのはある。