ゼルダ新作 VS 逆張りオタクすぎてゼルダを褒めたくないけどヨナとチューリに欲情しちゃう自分との闘い。ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムの感想

ブレスオブザワイルドはゼルダ最新作としての最適解だったが、ティアーズオブザキングダムは偉大なる前作を超えようみたいなプレッシャーを全部捨てて、プレイヤーを楽しませようというゲーム作りの原点のような意識に振り切った作品だった。

 

誰がなんと言おうと完璧なゲームではない。

序盤、メタスコア97点は嘘だろ金もらってんのかよと思っていた。
このゲームはとにかく減点したくなるような場面が多い。Switchのスペックの限界なのかロードが長いので常にSteamでやらせてくれよと思うし、ムービースキップ後の硬直がおかしくていちいち待ち時間が発生するので集中が阻害される。鳥望台のスキップ後動けるようになるまで5秒待たされるのと、祠クリアした時の演出2回飛ばさなきゃいけないように設定したやつ絶対おかしいだろ。玉なんか動けるようになってから右上でカービィの残機みたいに増やしとけや。

思えば前作ブレスオブザワイルドでも似たような気持ちになった。ファンが「歴史上一番優れた100点満点のゲーム」などと主語をハイラル城くらいデカくして語るたびに、「ふーん、TUNICは30億点だけどね」と俺の中で対抗心を燃やしているこのゲームは、実際にプレイするといくつもプレイしていて面倒臭すぎて正気かよという場面に遭遇する。雨の日に滑る山場だとか、基本的に馬宿からしか乗れない馬だとか本当に面倒くさい。特に馬の挙動はウィッチャー3並に馬鹿(馬だけに)で、ちょっとした段差や木の根に引っかかって「ヒヒーン!」と3回くらい鳴かれた時点で「声デカい信者が褒めてるオープンワールドのゲームって全部馬の挙動おかしくないと気が済まねえのかよ」と思った。俺はブレワイ絶対褒めねえからなと序盤で強く誓ったのを覚えている。

しかし、「見えている場所全てに行くことが出来て、実際にそこで何かが起こる」というオープンワールドの良さを完全に自分のものとしたゼルダ最新作が楽しくないはずがない。祠も別にサブイベントの一つでしかないし、わからない奴は別に解かなくてもいい。でも頑張って解いておくと、神獣攻略でちゃんと役に立つ。ゼルダといえば解法がキチンとある神殿を少しずつ解き明かしていくのが魅力だと思っていたが、ブレワイの「祠で学んだ経験が自分の中に蓄積されて、それを活かして神獣の大きい問題が解ける」という体験は唯一無二のものだったし、とても面白かった。不満点はあるが、あの当時を代表する神ゲーの一つであることは間違いないだろう。

ただ、ブレワイを「この世で一番のゲーム」と評されると、今でも「そうか?」という気持ちは正直ある。まあ、ミファーが可愛いから別にいいけど…なんかモヤモヤする。

そんな気持ちを抱えながら迎えたティアキンの発売日。メタスコア97点なんて点数をつけられて俺の中の逆張りオタクがムクムクと立ち上がった。「前作では屈したけど今度こそゼルダに負けねえからな。絶対批判してやる」という最悪な気持ちで臨んだ。実際、最初の5時間くらいは負けなかった。ブレワイで微妙だったとこは改善されずに残っているし、何より前作のDLCみたいな焼き増しに近い体験が多くて、なんか思ってたより面白くないなと思いながら遊んでいた。「まあ序盤だしそのうち面白くなるだろ」と任天堂を信じて遊び続けたが、前作と同じく「完璧なゲーム」という評価には首をかしげたくなるほど欠点が多いと感じている。

「誰でも楽しめる」はゲームオタクからすると楽しめない事が多い。

スーパーマリオオデッセイを遊んだとき、“マリオ最新作”としてはとても良いゲームだと思ったが、アクションが退屈極まりないほど簡単で、もうマリオを楽しめる期間は過ぎたのかもしれないと悲しくなったこともあった。決してオデッセイが悪いゲームというわけではない。任天堂の購買層的に「とにかく普遍的に面白い必要性」のあるゲームとして、オデッセイがバカみたいに難しいわけがないし、是非チビっ子はマリオオデッセイでアクションゲームの面白さを体験してほしいと思う。それを踏み台にしていずれCelesteのような凶悪なアクションゲームで難所を超えたときに出る脳内麻薬に酔いしれてほしい。どちらが優れているとかそういう話ではないけど、ちょっと自分には物足りないなと正直に思ってしまいマリオはもう楽しめないのかと悲しかった。

オデッセイのみならず、任天堂を始めとするメーカー製のゲームは「面白い事を提供する」という必要最低限の前提がある。遊園地に行ってジェットコースターに乗るようなものだ。楽しいに決まっているし、ある程度どういった楽しさなのかも予想できる。

そんなジェットコースターくらいの面白さでしかないと高をくくっていた『ティアキン』には良い意味で裏切られる事になる。

「ゲームが好きでよかった」というシーンがいくつもある

まさかジェットコースターの素材を用意されて「ご自由にどうぞ」と言われるとは思っていなかった。「面白いけど万人受けする作品って味薄い」みたいな気持ちは、先ほど感じていた退屈さみたいなのも含めて、雪山の神殿につく頃には消し飛んでいた。

チューリというありえないほどエロい仲間と共に雄大な空をグングン飛び回る体験は本当に時間を忘れるほど感動したし

任天堂さん、チューリを産んでくれてありがとう

どう考えても正攻法じゃない解き方で祠をなんとなく突破してモヤモヤしたり

意図せずコロ虐をしてしまい悪い笑いが出てしまったり

ロケットで川の底まで沈んでいったコログ

ティアキンのバズツイが流れてきて爆笑したり。こんなこと出来たんだという感情と、めちゃくちゃしょうもないという感情が入り乱れて感心する。一番のお気に入りはこれ。

ストーリーも予想より遥かによかった。「どうせ4つ神殿クリアしてガノンドロフ倒してクリアでしょ」というユーザーの予想を、余白をどう埋めるかというこれまた着眼点を変えて面白いものにしているのが素晴らしい。それを彩るカットシーンの細かい演出やカメラワークは「わかってんなあ~」と言いたくなるものばかりである。マスターソードはちゃんと自分で引き抜きたいですよね?はい……

「今めっちゃ楽しい!」というこれを味わうためにゲームやってるんだよというシーンが何度も来るゲームだったのだ。

ティアキンは面白い事が起こる場を提供しているゲーム

前項で上げたように、このゲームは面白い事が起こる場を提供しようという事に全力だった。「ゼルダ新作なんだから面白くしなきゃ」ではなく、「面白くなるようにしとけばユーザーが勝手に面白くしてくれる」というある意味の信頼が無いと出来ない芸当を、『ゼルダの新作』という圧倒的に有利な土壌によって実現している。正直ズルいが、任天堂にこういうズルさがあると思っていなかったのでいい意味で驚いた。

これは筆者が大好き『Outerwilds』や『Tunic』のような、「ゲームに向き合ってくれる事が前提」なインディーゲームの構成と近い。遊んでいる側が「面白くないところでも頑張って乗り越えれば、ちゃんと面白い体験を用意してくれているだろう」という作り手側へのリスペクトがないと成立しない、ユーザーに我慢を強いる構成である。それを裏切られるようなことはゲームが趣味ならいくらでもあることだが……やっぱりその期待に応えてしまうのが任天堂の凄さなのだと実感した。

細かい不満はあれど、瞬間瞬間で素晴らしさがあれば許せてしまう自分にとって、ブレワイの頃に感じてたモヤモヤとかも無く「良いゲームだよね!」と同意できるのが何より嬉しい。悔しいけど今回の勝負は俺の負けである。

とても面白いゲームでした。

最後に全ユーザーが思っているだろうから言わなくても良いと思っていたが、公平性を期すためにちゃんと書いておく。

ヨナがエロすぎる。なんだこれ。

人の服の心配より自分がめちゃくちゃエロいことに気付いてくれ……